2025.05.01
主体的に学習に取り組む姿勢を育てることを目的として,リモート授業を展開していますが,先月のリモート授業で「学習に,主体的に取り組む」ことについて考える機会がありました。今日は,「主体性について話をいたします。
自分らしく生きるためにも目標を達成するためも,主体的な行動が大切であることは誰しもが感じているところです。また,ほとんどの親や指導者は,子どもや生徒に「主体的であってほしい」と願っています。
この主体性を「自らが望むこと」としてもほとんど間違いがありません。が,この考え方を当てはめると,「他人(ひと)を叩きたいから叩いた。」は主体的な行動になってしまいます。そんなことはありません。主体性とわがままは,異なるものです。主体性はいいイメージだし,多くの場合,わがままは悪いイメージです。主体性の意味を曖昧にしていると,主体性とわがままを取り違えてしまい,望まないものを育てることになってしまいそうです。
「主体性は理性からの賜物で,わがままは感情からの賜物である。」と考えると,いい線をいっているように感じます。しかし,この考えでは,理性が十分育っていないどもには主体性がないことになってしまいます。が,そうでもなさそうです。
どうも,思春期前の子どもと思春期後の子どもでは,「主体性」の内容が変わりそうです。幼い子どもでは,「周りからやらされる」のではなく,「子ども自らが出発点になる」ことが主体的であり,思春期後の子どもには,「主体性は,理性からの賜物である」とすれば,子どもの「主体性」と上手に付き合うことができそうです。
今回は,主体性について考えました。次回,「子どもの主体性を育てる」ことについて考えたいと思います。