母校の100周年記念行事に参加しました

2023.11.13

私の母校である兵庫県立尼崎高等学校(以後,県尼高という)の100周年記念式典に参加しました。私にとって県尼高は,大学や大学院に優るとも劣らないくらい,多くの学びと成長を頂いたところです。思い返すと,中学の時はバレーボール一色の生活を送っていた黒澤が,勉強を本気でやってみたいという気持ちが生まれたのは,県尼高入学後でした。先生方が私たち生徒一人一人を尊重し,指導して頂けたことは,今も強く心の中に残っています。式典では,恩師の先生にお会いできませんでしたが(私が72歳なので,当然ですね),同級生・部活を含めた後輩 / 先輩・現役の高校生にお会いできました。この式典で感じた2つのことをシェアーさせて頂きます。

一つは,お祝いのスピーチをした母校の後輩で,今売り出し中のピップポッパーである空音(そらね)さんのお話です。音楽の道に進みたい,と担任の教師に言ったとき,「そんなの無理に決まっている。」と即答され,やめるように説得されたとのことでした。そのときは,説得を受け入れ,就職の道に進み始めました。が諦めきれず,2ヶ月後の進路の三者懇談で,再度音楽の道に進みたいと担任と母親に告げたのですが,これも一蹴され三者懇談は終わりました。卒業も間近になった最後の三者懇談で,音楽の道に進みたいとの意思を伝えると,担任は反対したものの,お母さんが担任を説得し,音楽の道に進むことになりました。この後,担任は空音さんが内定を頂いていた就職先へお断りの連絡を入れたのでした。空音さんは,「今あるのは両親・先生方・就職内定先の皆さまのお陰です。」と,心からの感謝を込めて話していました。空音さんは,軽音楽部に入った高校1年から,好きな音楽を毎日続けていました。この毎日の行動が,好きな音楽活動進む意思を育て,現在の音楽活動のベースになっているとのことでした。さらに,「自分が好きなことを知っていますか? 知っている人は,そのために自分ができることを毎日続けていますか?」と,現役高校生に向かって問いかけている空音さんの姿は,今も私の心に焼き付いています。

もう一つは,私のことです。何十年ぶりに校歌と応援歌を聴いた時のことです。朧(おぼろ)げながら覚えている校歌の演奏が終わり,応援歌(熱風)を口ずさんでいた時です。目から一粒の涙が,こぼれました。予想もしなかった出来事に,「えっと,何?」とただただ驚くばかり。そっとハンカチで,涙を拭いました。記念式典後,もう一度この出来事を思い出している時のことです。高校時代のクラス・部活動・友達・先輩・後輩・学校行事・大学受験など多くの楽しかった出来事を鮮明に思い出しました。このことは,きっと高校生活を精一杯楽しめた証しなのでしょう。また,高校卒業後も,不安な時,苦しい時に,応援歌を口ずさみ,勇気づけられたことも思い出しました。あの涙は,私が生きる力の礎を築いた県尼高に対する感謝の気持ちだったと感じました。

多くのことを感じた100周年記念式典でした。